中東レポート

≪序章:ロシアからヨルダン入国≫
≪1章:イスラエル入国≫
≪2章:ヨルダン川西岸≫
≪3章:ガザ入域≫
≪4章:ガザの悲劇≫

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2003年2月21日  序章:中東の涙

 日本を発ち、20時間。僕は中東に降り立った。 

 強度の二日酔いが残り、出発前日にボロ日産サニーを後輩に譲ってナンヤラカンヤラしていて疲労が残る中、成田を出発した。 

 僕は飛行機で快適な時間を過ごしていた。
ヒッチハイクで移動するのとは違い、やはりお金を払って乗り物に乗ることはとても楽な事だ。人に気を使う事もなく、酒を飲み音楽を聞き、本を読んで、寝ていれば目的地に着いてしまう。 

 モスクワで乗り換え 4時間、次の飛行機を待つ。モスクワの飛行場は、社会主義の匂いが強くはびこっていた。なんだか照明がやたらと暗いし、空港のスタッフ、免税店の人々に笑顔はない。なんだか、気分が暗くなってきてしまう。ビールが安かったので、ハイネケンとキャビアの缶詰を買い一人宴を行っている間に、次のフライトの時間がやってきた。 

 アエロフロートのアンマン行きは、とても乗客が少ない。そして飛行機もとっても小さい。
通路が一つしかなく両側に席が3つといった感じだ。とても何カ国もの国の上空を飛べるとは想像しがたい飛行機だった。
まっあまりいちいち心配してられない。さっさと機内食とワインを飲み熟睡した。 
着陸の時、乗客の乗っていない席が前に倒れ 飛行機のボロさが浮き出たぐらいで大した問題はなかった。 

 ヨルダンの首都アンマンに着いたのは、深夜の1時。はじめての土地なので、へんに外に出ても危ないかもしれないので、空港で朝を迎えることにした。

そこで、日本人の3人の方と出会った。2人は、ヨルダンから上にのぼっていきギリシャに向かうと言う。
もう一人はというと、イラクに行こうとしていた。やはりいた、こういう人。
彼は、なんとか自分も戦争を止めさせなければならない !っと、意気込んんでいたのだった。
物静かながら熱い意志を持った方だった。

そんな彼らと、空港を出てダウンタウンに向かい宿を探す。ドミトリーは一泊、約600円だった。

 アンマンの天気は、かなり激しい雨の上に 寒い!!
なんかイメージと違う天候だった。最近、アンマンでは通常の時期に比べても、雨が多いのだそうだ。そういえば湾岸戦争が終わりサダム・フセインが敗戦宣言をした時もヨルダンでは、雨が降ったという。
もしかすると、この陰険な雨は、中東の涙なのかもしれないと、ぼーっと空を見ながら思うのだった。

2月23日  生きるにあたって

 アザーンを聞きながら、シャイ(砂糖いっぱいの紅茶)をすすっていると、し・あ・わ・せ・ー っと心から思ってしまう。
1年ぶりのアラブ圏。アラブ人の陽気さがたまらなく懐かしい。ヨルダンは、エジプト人に比べ、それほどボッテこないし、ほどよくフレンドリー。コミュニケーションの距離の短いアラブ人好きの僕にとっては、心の奥から楽しくなってきてしまう。

 ヨルダンの首都・アンマンは相変わらずの雨。人々はどしゃ降りの中でも傘をささずに歩いている。そして傘を持っている人も、形が変形したやけに古い傘。露天では傘が売っていないのだ。
そんな感じで、今降り続けている雨は、この地域では異常なのだろう。

 さてさて、今回の旅のメインは インディージョンズの最後の聖戦で撮影されたペトラ遺跡でもなければ、どんなカナヅチでも溺れる事が無い死海でも、ピラミッドの頂上へ行く盗頂でもない。
イスラエルの嘆きの壁が見たいのだ。
僕は、国際関係学という学問を選びその集大成を このイスラエルという国にぶつける事とした。
イスラエルという国には、歴史、宗教、紛争、という世界的な問題の核がある。
そして世界の経済を牛耳るユダヤ人の国でもある。卒業旅行としてこれほど意味のある国はないと考えた。

 しかし、問題は 間違いなく“自爆テロ”“戦争”といったモノであろう。
一部の方、いや大方の人は「そんな所に行くのは、平和ぼけした日本人の馬鹿な行動」と思うであろう。
実際、昨年イスラエルのドンパチやっている所でカップルがたたずんでいる所を報道され、日本の恥じだやらなんやら言われていた。
僕は、その事を考えた上でも、これからの人生を中途半端に生きていかないために、何がなんでも命をかけて日本に戻ってこよう。
そして、生きるという意味を感じようと心に決めた。

CCF20140816_00001

 こちら中東の現地の感想はというと、イスラエルとイラクに隣接するヨルダンでは、平和そのものだ。そしてイラクはというと、現在ツアーで入国できるのだそうだ。昨日、宿にイラクツアー参加した5人の方が帰ってきた。このツアーというのは6泊7日で約500ドルといものだそうだ。彼らはイラクに入り、まったく危険を感じることは無かったと言う。

人々は優しかったという。何よりあまり外国人を見たことがなく興味心いっぱいなのだそうだ。
そして、イスラエルは、現在国境が開いているようだ。イスラエルから帰ってきた方のアドバイスを聞き、行けると判断した。

 そんな訳で 明日 イスラエルのエルサレムへ向かう事に決定。なんだか、今は正直恐い気持ちもあるし、やったろうじゃないか!!
という気持ちもあるし 複雑な心境だ。

 昼間、アンマンのダウンタウンの丘にそびえる城跡に登った。雨と風の強い城壁から谷のような街を見ていると、白い鳩の群れが風に向かいながら 必死に飛んでいた。平和の象徴が、何かと闘って一所懸命にモガイテイルと思うと僕の心も次第に熱くなるのであった。

CCF20140816_00000

≪Next :エルサレム≫

2月24日  憬れの地へ

 ヨルダンの首都アンマンを出発して1時間後、僕はキング・フセイン橋というヨルダンとイスラエルの国境に着いた。
非常に重すぎる緊張感がそこには流れていた。 

 ヨルダンの出国審査は簡単だった。
バスに乗りイスラエル側へいく。僕の緊張感もどんどん高まっていく。
イスラエルの国境に着くと、普通にイスラエル兵が銃をもって構えている。
ほとんどが若い兵士だった。

イスラエルでは、国民全員に男は3年、女は2年の徴兵制が義務づけられている。
入国審査をしているのは、その徴兵制の子達なのだろう。
なにか、女の子達はキャピキャピして仕事をしているように思えた。
まるで、学校で授業を受けているように。
だからといって、緊張感がないわけでない、常に拳銃をもっているのが側にいるのでタチが悪い。
兵士達は、若さゆえに簡単に撃ちそうで恐いのである。

 イスラエルに入国するのに、拒否をされた人もいるという。
荷物を全部あけられチェックも厳しく、昔はケツの穴まで見たという。
僕は、30分ほどで入国でき、3ヶ月の観光ビザがもらえた。
国境から1時間弱で、聖地エルサレムに着いた。
憧れの地へやっとこれて、僕は軽い感動を覚えていた。
宿泊場所を、ファイサルホテルという、NGOの団体やフリーのジャーナリストの集まる宿に決め、イスラエルでの情報を集める事にした。

エルサレム的雪合戦論

 エルサレムに着いた次の日、聖地エルサレムに3日間雪が降り続いた。この地に雪が降ったのは5年ぶりだという。

CCF20140816_00003

 エルサレムの旧市街は塀で取り囲まれている。
その入り口で最も大きいダマスカス門という所には、常にイスラエル兵が駐在している。雪の日、イスラエル兵は雪の門をバックに記念写真を撮っていた。その無邪気さに僕は、思わず笑ってしまった。ある人が言うにイスラエル兵は、いつもカメラを持っていて記念写真を撮るのらしい。そして死体をバックにも撮るのやら。記念ということで・・・。
ほんと、兵と言っても高校を卒業したばかりのガキのやる行動なのだ。 そんなガキ達に、制圧されるパレスチナの人々が気の毒になってくる。 

 雪の間、僕はあまり外を歩きたくなかった。それは、どこからともなく雪の固まりが飛んでくる為だった。パレスチナ人の居住区を歩いていると、間違いなく「ヤパーニ」(日本人)と言ってパレスチナの子供たちが雪を投げてくるのだ。それもメッチャ固くした雪を頭に狙って。これが見事に頭に命中する。きっとイスラエルに対する投石運動で人の頭に命中させる事に慣れているのだろう。7メートル歩くごとに違う軍団が投げてくる。建物の上からも狙ってくるので、どこから飛んでくるかわからない。次第に僕は、パレスチナ人にムカツキはじめていた。

 そしてユダヤ人居住区に向かう。パレスチナ人居住区・ユダヤ人居住区と言っても、区切り線があるわけでもないし、壁があるわけでもない。ただ路地をそれたら居住区が変わり、街の雰囲気が変わるのだ。
パレスチナ人居住区は、人が多く活気づいているのに比べユダヤ人居住区は人が少なく、落ち着いた印象を受ける。
そして当たり前だが人々も変わる。

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 雪の中のユダヤ人居住区は歩きやすかった。路地で子供たちに会うと、「ちょっとまって」と言われた。ここでもまたイタズラの標的にされるのかと思っていると、「上から雪を降ろしているから雪がかかってしまうよ」 と教えてくれたのだ。何という違いなのだろうか、パレスチナの子供たち(そういえば大人もいた・・・)は、容赦なく雪をぶつけるのに ユダヤ人の子供たちは、雪がかからないよう易しさを見せてくれた。うーんこの違いはなんなんだろうか。 

 きっと僕は、エルサレムだけしか見ていなかったらパレスチナ人を嫌いになっていただろう。しかし物事を一局だけで判断してしまったら誤解が生じる。もっと多くの物を見て、イスラエルとパレスチナの関係を見ようと思うのだった。

≪Next :ヨルダン川西岸≫


非常識な世界

 パレスチナ人はある部分が他のアラブ諸国の人々と同様に、幼稚だと思う。雪を当てたかったら、当てる。
声をかけたかったら、声をかけてくる。コミュニケーションの距離が、とてもせまいのだ。
イスラエルの人々と衝突するきっかけが、この人種的性格にもあるように思えてならない。

 日本を出る前、イスラエルへのステレオタイプは、インドやらで会った、ちと頭のトンデイルイスラエル人と“自爆テロ”という卑劣な行為をする 恐ろしいパレスチナ人が入り交じった国といったものだった。
しかし、僕のステレオタイプは、大きな間違いであった。
イスラエル人は、長期旅行者によくいるイスラエルの若者とは違い、わりと落ち着いている人が多い。
そしてパレスチナ人は、見事なほどにやさしいのだ。
エルサレムなどの観光客が集まる所のパレスチナ人に、あまり優しさは感じられないが地方の都市に行くと、その優しさに感動してしまう。
街を歩いていれば、お茶を飲んでいかないかと、家に誘われる。
あまり裕福といえないパレスチナ人に何度もおごってもらった。突然、家庭にお邪魔をして飯を何度も頂いた。
そして家庭にも泊めてもらった。この優しさに触れていると、なぜ彼らが殺されていくのか解らなくなってくる。ウェストバンクやガザ地区に住むパレスチナ人はいつその命が失われてもおかしくない状態で毎日を過ごしている。

 ナブルスというエルサレムから3時間ほど離れた街へ行った。
この街は 今、イスラエル兵からの侵攻が最もひどい場所である。
まず病院へ行く事にした。そこには、イスラエル兵の銃に撃たれた人々が数多く苦痛の顔をして存在していた。
そして集中治療室に行った。
ある少年がそのベットに横たわっていた。昨日、お菓子を買いに行こうと家を出た所、頭を撃たれたのだそうだ。おじいさんは「この子が何をしたというのだ ただお菓子を買いに行っただけなのに・・・」と下を向きながら僕らに訴えた。
少年の安らかに眠るような平穏な顔が余計に僕を、物悲しくさせた。

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僕もまた 心の中でつぶやく 「なぜ?」と。

身近で起きる その事実。

パレスチナ自治区のラファは、エジプト国境の近くにあり、イスラエルからの侵攻が最も所の1つだ。
その地で、3月アメリカ人女性が死亡をした。

この活動団体であるISMは、エルサレムで僕の泊まっていたファイサルホテルが拠点となっていた。
そして、僕もこの女性と一緒にいた時があった。
そんな身近な人間が死んで、世界にニュースとして流れていると思うと複雑な気持ちでいる。
彼女がアメリカ人と言う事でニュースになる。
しかし、パレスチナ人は世界の片隅で毎日毎日、その存在を知られることなく命を落としていく。
この事実は、人間の命という物は平等でないんだなと思えてくる。

僕もまたISMに誘われていた。
研修をうけ、人間の盾 として パレスチナ人の家に泊まって家を破壊されるのを防いだり、チャックポイントでイスラエル兵の理不尽な行動を監視するのが主だった活動だ。

他のボランティア団体と比べ、体を張り、命を張り、平和・人権を守ると言うわかりやすい活動のため賛否両論な団体なのだ。
ある日、僕は裁判所へと行った。
それは、アメリカ人のメンバーが街を歩いている時、突然逮捕され、その裁判だった。
「インターナショナルが欲しい」との事で、僕は裁判所へ向かわされたのだ。
裁判は、ヘブライ語で何を言っていたの全くわからなかったが、彼女は無事 釈放された。
街を歩いていて突然理由もなく逮捕されるほど、イスラエル当局では、この団体を嫌っていた。

結局 僕は、時間がなかったので、この団体の活動には参加しなかった。

つくづく思う。世界で注目される出来事が、身近で起きていている。日本へ帰っても、僕は心の中で、これらの事実を遠くの国で起きていると思うのではなく、ごく身近なところで起きていると思い続けなくてはならないと思っている。

≪Next :ガザ≫

日本人達。

2度目のアラファト議長との面会は、あるお坊さんを通して行おうとした。
このお坊さんとは、世界平和を唱える妙法寺の方で、91年からイスラエルに来ているのだそうだ。

はじめてそのお坊さんを見たのは、エルサレムの街を袈裟を着て歩いているの時だった。
あまりにも意外でただ口をあけて歩いているのを見ていた。
しばらくして、そのお坊さんに興味を持ち始め、なんとか連絡先を入手し お会いすることとなった。
そしてお会いして、「近いうちにアラファトと会えるかもしれないから一緒に来てビデオ撮る?」とお誘いを受けてしまったのだ。

しかし、アラファト議長は首相の任命やらなんやらで忙しく、その面会が延び延びになっていた。
そして僕のイスラエルからの出国も延び延びになってしまったのだ。
結局断念をしてイスラエルを出国する事になった。

このお坊さんにお会いし、人の繋がりが広がった。
ガザ自治区では国連の職員の方を紹介してくれた。
紹介と言っても、ただ国連にこの人に会いに行くといいよ っといった感じだったが。

僕はガザに着くと、国連に向った。
今までの旅では、NGOの事務所。
JICAの事務所など訪れた事がある。しかし、まさか国連まで訪れるなんて・・・。
自分は、行動力があるというのか、無礼なるモノを知らなすぎるというのか、一体何なんだろう。
まっ 学生という事で世間は許してくれるのでいいとしよう。

それでもって、全くのアポなしで国連に入る。
「Aさんに会いたいんです!!」と言うと案外と簡単に入れてしまった。
パレスチナ人の国連スタッフからAさんに連絡してもらい会うこととなった。
Aさんという日本人女性は、日本政府から選考され国連に入り。
昨年からパレスチナに来たのだそうだ。
オフィスでお話を聞いた後、2日前にイスラエル兵に攻撃された難民キャンプに一緒に連れていってもらった。

その難民キャンプは、家が壊されてヒドイのだが、子供が外国人に興味を持ち、かなりひつこく構ってもらおうとしてくる。
それが大量の人数で来るので、怖さも感じ破壊された悲惨さを感じる事はできなかった。

その後、Aさんのお宅へとお邪魔した。
海の目の前にあるマンションで、8階がAさんの部屋だった。まさに完璧なオーシャンビュー。
さすがは、国連職員の家と言った感じだ。そこで、お話を聞いた。

Aさんは、国連という機関に属しており、あくまでも中立の立場を取らなくてはならず、好きかってに行動が出来ないという事。
パレスチナの国連では、宗教の事について、批評や批判などしない事になっているのだそうだ、そこに論点が行くと答えがどんどん遠くになっていく事。
国連という組織に所属している人の意見として他にも様々な貴重なお話を聞けた。

Aさんに、「パレスチナにいて怖くないですか」という質問をした。Aさんはこう答えた。

「怖くないと言ったら嘘になるかもしれないけど、この地で こんな状況でも生きている人達がいます。もし私が怖いから逃げたとしたら、それは国際社会が彼らを見捨てたという事になります。私は、国連から退避の命令が出るまで彼らの側にいて、彼らの最低限の人権を守って行こうと思います。」

熱い!!。
純粋に凄いと思った。
今回、Aさんの他にも、こちらに住まわれている日本人の方に何人か会った。
その方達は、皆自分という存在をしっかりと踏まえて、自分の中に使命感を持って生きていたように思えた。

そんな方達の側にいると僕もまた熱くなってくるのだった。

CCF20140816_00002

≪Next:ガザ攻撃≫

3月8日  イスラム原理主義ハマス幹部暗殺

 朝の7時半、宿の外から重く乾いた爆発音が鳴り響いた。
ビデオカメラを持ち、靴下もはかず 眼鏡もかけ忘れ外へ出た。
パレスチナの人々が指差す方向を見ると、上空でイスラエルの武装ヘリコプターが悲劇の音をガザの街に鳴り響かせていた。

 僕は、本当の事が知りたくて、パレスチナ自治区のガザにやってきた。
そして5日ほど滞在していた。今回の襲撃は、これほどガザ市内の近くで襲撃が起きた事はなかった。
それも昼間に。僕は興奮のあまり、ビデオを片手にヘリの方向へ走っていた。
しばらくすると子供がやってきて、僕をある方向へと連れて行こうとした。僕は何かがあると判断し、全力で子供とある方向へと走った。そこは、病院だった。混乱する救急病棟。叫び・怒り・悲しみがそこには入り交じっていた。

 今回僕が持っているカメラはなかなかいいカメラだ。テレビの番組でも使用しているものなのだ。
そのためパレスチナでは、僕はジャーナリストとして見られることが非常に多い。病院でも、どさくさに紛れ救急病棟の中に入ってしまった。
次々と運び込まれてくる負傷者。今回のターゲットは、イスラム過激派のハマスの軍事担当の幹部、メンバーの3人だったのらしい。僕が撮った映像には彼らのちぎれた足・顔・内臓が写っていた。僕の常識の価値観をはるかに超えすぎていた。僕は、かすかに足を震わせ血を踏みながら、世の中に存在する残酷というものをまさに心にナイフを突き付けられる思いで見ていた。

 今回の襲撃は、先日イスラエルのハイファという所で起こった“自爆テロ”の報復と思われる。
午後、人々は死体に集まり死体を病院から出し担ぎ出し、行進を始めた。
ここに憎しみが、また生まれた。憎しみが憎しみを呼び、また新たな憎しみを呼ぶ。
僕は、この現実を見た人間として人々に、この事実を伝えていかなくてはならない。ビデオをまわしながら僕は自分に強い使命感を覚えていた。

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