2002年2月9日 「遥かなる終着地」

 昨年の2月。僕は1年間のオープンチケットを買い、既に、旅の出発前から帰国日を決めていた。2002年2月15日に帰国しようと。
 おそらく次の日に、僕の所属するサークルで「オイコン(4年生の卒業を祝う、追い出しコンパ)」があるだろうと予測し、それに合わせ、旅の終わりを決めていた。オープンチケットを買った事はある意味”けじめ”だったような気がする。そして、その帰国日に合わせ、僕は旅を進めた。

 そして日は進み、旅の終わりも近くなった2002年1月。カンボジアはプノンペンにて、翌日ベトナムへ行こうとしていた日の夕方。僕はネットカフェである衝撃的なメールを見た。「オイコンは2月9日」との報告のメールだった。僕が予測していたよりもオイコンは1週間早かった。
 15日フライトだとオイコンに出席できない。僕と卒業生は同じ”代”。やはり卒業を祝いたい。一晩悩み、僕は決めた。旅をとるか、友人をとるか。僕は結局、ベトナム/ラオスへの旅をあきらめた。

 そうと決まると、フライトの日程を変更するために、プノンペンからバンコクへ。まだ学生シーズンではないが、席がいっぱいになる可能性があるため、急いで戻った。
 バンコクに戻り、ビーマン・バングラディッシュ航空に向かった。腰のベルトに10ヶ月間入れ続け、僕の汗の臭いと少し黒くカビたボロボロになったチケットを見せると、サリーを着たやる気のないカウンターのおばちゃんは、汚いものを持つかのような感じで顔をしかめた。「こんな汚いチケットは使えないよ」みたいな顔をして。
 いかに1週間早く帰らなくてはいけないかを説得するために、母には「命が危ない」ということなってもらった。サリーのおばちゃんは納得し、無事、帰国日を2月8日と変更した。

 2月9日の三島。駅に着いた僕は、そのままオイコンの会場に向かっ た。サークルのみんなには、「オイコン行けない、ごめん。」という事にしておいたので、お迎えなく1人でボチボチと。
 会場に着いた時、コンパは始まっていた。なぜか僕は、会場に入るのをタメラった。やけにドキドキして緊張していた。その緊張は、久々にみんなに会うからか何なのか。頭ではよく分からないが、身体が自然にドキドキとしていた。ふすまの前でタメラっている汚い人を店員さんは不思議がっていたので、中に入る事にした。
 ふすまを開ける。懐かしい顔が僕の目の中に飛び込んできた。3年間一緒に大学生活を楽しんだみんなの笑顔の暖かさが僕を迎えてくれた。
 あいかわらず、バカな飲み方をするみんな。1年前と変わらない。そして、心地の良い酔いが僕を襲ってきた。なんとも暖かい陶酔だった。そして、その酔いは僕に教えてくれた。

 「ここが、この旅の終着地なんだ。」

 そんな事を漠然と思わされた。

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